量子論的「時空」の概念

多元宇宙統合生命論

量子論的「時空」の概念

私たちが生きている、この現実世界は、「確実にここに有る」と誰もが感じています。
そして、過去から現在へ、現在から未来に向かって、連続した 時の流れの中にあると思っています。

最先端の量子力学では、この現実世界は、ゼロポイントフィールドと呼ばれる エネルギーの場から生まれている世界だという理論があります。
仏教においても、私たちの目には見えない 「空」と呼ばれる世界から 顕在化している世界として、現実世界を「仮」と捉えます。

これは、現実世界は、単純にずっと物質として 在り続けているものではないということであり、
アプローチの角度や表現こそ違うだけで、数千年前の仏教の見地に、近代科学が追いついてきているように思えます。

現実世界の真理といっても、現代の科学で解明され、証明されているものではありません。
物質の最小単位である素粒子には、波と粒子の両方の性質があることがわかり、
「では物質の集まりでできている、この世界の真実は?」という疑問が生じているだけなのです。

それに答える数ある理論といえども、現状では仮説に過ぎず、
何が正しいかなど、断定できるものではありません。

しかし、様々な理論、仮説から、真実を考察することは可能であり、これは決して無駄なことではないと思います。
何故なら、人がどんな世界観を持っているかにより、自身の生き方、ひいては人生そのものを大きく変えてしまうからです。

こころ☆クラフトの提唱する「多元宇宙統合生命論」では、
私たちが宇宙生命と呼んでいる「全体」の世界から、この現実世界が瞬間的に生まれ、次の瞬間には宇宙生命に一体化し、また次の瞬間には現実世界が現れるという、永遠の繰り返しであると考えています。

まるでフィルムのコマ送りのように、目にも止まらぬ速さを遥かに超えた「心にも止まらぬ速さ」で、宇宙生命からの顕在化と、宇宙生命への冥伏を繰り返しているのが、この世界の実像であると考えます。

つまり、現実の時間軸で考えた場合は、連続した 時の流れに「在る」ように感じているだけで、
実際は、三次元の世界に 出現したり消えたりを繰り返していると考察しています。

これは現代科学の主流の理論を否定しているのではなく、むしろ、科学が示している答えを、「こう解釈できるのでは」と考察したものです。同時に、仏教の概念にも付合していることがわかります。

さて、私たちが五感で意識できる現実世界は、縦・横・高さからなる 三次元の世界であります。
夜空に微かに見える、遥か遠い場所にある星々といえども、空間軸が遥かに長いだけの場所にあることには変わりなく、あくまで三次元の延長にあるものとして捉えています。

この三次元空間に、一つ次元を足したものを、四次元と言います。
四次元の世界を、三次元に投影した、四次元超立方体のシュミレーションモデルを見ればイメージできますが、
四次元の世界では、「外」にあるものは「内」にあり、
「内」にあるものは「外」にあることがわかります。
三次元の世界でいう、「外」と「内」という概念がくつがえるのです。

私たちが夜空の遥か遠くにあると思っている星々は、実は心の中にあり、
心の中にあると考えている小宇宙は、夜空に広がる大宇宙なのかもしれません。

きわめて遠くにあり、肉眼では見えない星ほど、
無意識の深いところ、自分では意識できない心の領域にあることになりますね。

こう考えると、なぜ星の動きを読むことで、人間の個性や人生、未来の予測ができるのかという理屈がわかるような気がしてきます。
自分の「外」にある天体の動きを見ているようで、実は、自分の心の中にある エネルギーの流れを見ているのだと考えられるからです。

アインシュタインは、相対性理論にて、三次元の空間に、時間軸を足し、四次元の「時空」の理論を解き明かしました。
これによると、四次元の時空では、過去・現在・未来という絶対的な時間の概念は無いといいます。

「多元宇宙統合生命論」でも、これを踏まえ、
高次元の世界では、「今」という一瞬の中に、私たちが認識している、過去と未来は、同時にあるものととらえます。

もちろん、私たちが意識している、この現実世界には、過去・現在・未来の時間軸があります。
この世界観を基準にした場合、過去世でつくった悪業は、いつか必ず、その報いを受けることになります。
仏教でいう 「因果応報」のことですね。

今の世の中は、どう考えても、善業よりも 悪業を 積み重ねまくっている人がほとんどなので、
これでは真の幸福を掴めることは、ほぼ不可能であり、未来世の不幸も決定的という理屈になってしまいます^^;
言い換えれば、運命は決まっていると言われているようなもの。

でも、瞬間の生命に、過去も未来も同時にあるという世界観に立てば、
「今」の私の中に、未来という「結果」があることになり、
今の私という「原因」を変えさえすれば、未来も変わることになるはずです。

これが仏教で説かれている「因果倶時」です。
現在の生命の中に、過去の原因も、未来の結果も、同時に備わっているという意味です。
今の生命を変えれば、未来はもちろん変わりますが、過去にあったことの「意味」さえも変えることができるということです。

例えば、過去世の 悪い行いが原因で、大きな苦しみの 業の試練を受けたとしましょう。
これを「過去の報い」という意味から、試練を乗り越えて「成長する為の因」という意味に変えてしまうのです。

もちろん、時間軸の存在する、現実世界の感覚においては、
蒔いた「種」から「芽」が出て、そして「花」が咲き、「実」が実るまでには時間がかかるのですが、
生命の世界では、「種」を植えた瞬間に、未来の結果という「実」は、既に実っているということです。
だから今が大切なのですね。

ここでいう種を植えるとは、自分の生命のあり方が変わったことを意味します。
すべては、自分の生命がどのような状態にあるかで、未来は決まることがわかります。
これは、自分の心次第で、時間軸の上を流れていく 未来をも変えてしまうことを意味するでしょう。

さて、次回は、生命の神秘、この世界の真実への理解を深める為に、もう少し掘り下げて考察します。
私たち人間の生命が、宇宙生命と同一とはどういうことなのか、
科学的な視点から考察してみたいと思います。