月は誰も見ていないと存在しないのか?

多元宇宙統合生命論

月は誰も見ていないと存在しないのか?

量子論の誕生に、大きな貢献を果たした科学者、アインシュタイン・・・
物質の最小単位である素粒子には、「観測」すると物質化し、「観測」しないと波の状態として見えなくなってしまうという不思議な性質があります。

私たち人間や、私たちが生きている、この現実世界は、人間が意識しているから存在しているのであって、
意識しないと消えてしまうのでしょうか・・・?

後年のアインシュタインは、「月は誰が見ていなくても存在するではないか」と、量子論に反対する立場になりました。

粒子と波という、相反するような性質を 両方持っているのが量子の世界・・・。
でも、現実世界を構成する物質の法則とは、異なるのではないか・・・。
多くの科学者も、こうした疑念を持ち、約一世紀にも渡り、論争が繰り広げられてきたといいます。

今では、量子の理論が正しいものと、ほぼ決着がついているとはいえ、
未だに疑問を感じる人も多いのではないでしょうか?

そのくらい、真実とは、私たちが思っている以上に不可思議なもので、
目に見えない世界の 科学的解明は、ようやく入り口に立った段階のようなものかもしれませんね。

それでは真実はどうなのか・・・?

その答えのヒントも、先ほどのアインシュタインの言葉の中にあると思います。
人間は、どうしても自分の中にある常識で判断しようとしてしまいます。
月の例えをとっても、人間が「意識する」という意味が、「五感」の域から出ていませんね。

五感で感じる情報を、頭で思考する・・・ !ここまで含めたとしても・・・
心理学的にいう、意識と無意識の「意識」の部分だけで捉えているところに問題があるのだと思います。

もし仮に、人類全員が、月のことを 見たり考えたりしない時間があったとしても、月は消えないと想像します。
無意識の中にある 人類の記憶が、さらにいえば、宇宙生命の「私」が、月を「意識」しているからです。

仏教では、目に見える現実を 「仮」 と捉え、目に見えない世界を「空」と捉えます。
この違いを、わかりやすく分ければ、「有るか無いか」の観点で見ます。

例えばインターネットや電話などの「電波」は目には見えません。
でも電波は観測でき、確実に「有る」といえるので 「仮」 になります。

素粒子も人間の目では見れません。でも存在を確認できているので、やはり 「仮」 です。
同じように、夜空に広がる大宇宙も、現実世界の延長であり、 「仮」 と考えられます。

「仮」 とは、有るか無いかという基準で判断できるもの。

一方、有るか無いかの基準では測れないもの・・・
「有るといえば無い」「無いといえば有る」・・・人の心や、人との絆などを「空」と捉えます。
私たちの心の中にある小宇宙も「空」となるでしょう。

そして宇宙生命という全体の世界にある、全ての人の縁が織りなす結果、この現実世界が「顕在化」していると説かれます。

科学といっても、 「仮」 の状態のものの性質を解明できているに過ぎず、
恐らく科学者の目には、科学が進めば進むほど、解き明かせない世界があることが、より明確に映っているのではないでしょうか?

多元宇宙論、超ひも理論、ゼロポイントフィールド理論・・・
まだ証明されていないとはいえ、最先端の科学の仮説が、「空」の世界にアプローチしていることに、大きな希望を感じることができますね。
証明されていないからと、否定的に捉える必要もないと思います。

こころ☆クラフトでは、独自考察理論の「多元宇宙統合生命論」を提唱しています。
この考察理論は、仏教で本来伝えたかった真実は何なのか、そして最先端科学の有力な仮説理論との一致点を考察することで、わかりやすい表現で、生命と世界の真実を表したものです。

その基底には、人間の「意思の力」が、この現実世界を創り出しているという考えがあります。

「意思」とは、宇宙生命としての意識、個の人間としての意識を統合した生命から 生まれるものであると考えますが、
あくまでコントロールする主体は、現実世界を生きる「私」そのものと考えます。

この仮説理論の大きな主張として、
決められた運命や、変えられない人生などはなく、
人の想いで、未来はいくらでも切り拓いていける、無限の可能性があることを表現したいのです。

目に見える現実世界に諦めを感じ、目に見えない世界に夢見るのではなく、
今生きている「瞬間の生命」に、生命エネルギーを輝かせていくことで、
自分の心が本当に望む世界を、いくらでも創っていけることを、言葉で表していきたいのです。

人の「意思の力」とは、恐らく多くの人が感じている以上に、計り知れない力があるはずです。

少なくても私たちが生きている間には、生命の真理の全てが科学的に解明されることはないと思います。
でも私たちは、こうした枠組みを超えて、真実に迫っていくことは可能です。

真実は、解明することが一番の目的ではないですね。
自分が何を信じるかにより、自分の人生が、自分の生き方が、豊かになることが何より大切です。

もし仮に、目に見えない世界の法則が解明され、
私たちの人生に「決められた答え」があるとされてしまったら、
それは絶望でしかありませんね。

今の私がどの道を進むかによって、未来はいくらでも変わります。
無限の可能性ともいえる、数限りない 道の中から、
現実世界を生きる「私」が、自分の意思の力で、未来を選んでいるのです。

もちろん人間の心は弱く、道を間違えることも多いでしょう。
苦しみ、悩み、時には迷い・・・それでも未来を見据えて「決意」をして行動を起こす・・・
人生は、この繰り返しなのかもしれません。

それでも、現実に生きる私の「意志」が、宇宙生命の「意思」と合致した時、
現実世界に 奇跡ともいえるような大変革を 起こすに違いありません。

私たち人間の生命は、宇宙生命と同一です。
これは、すべての人の生命は、根っ子で繋がり、ひとつであることを意味します。
あなたが、大切な人の幸せを、心の底から信じて願った時、
その相手の未来をも、幸福に包まれた世界へと 創り変えて いけるはず・・・。

そんな人間の限りない「意思の力」を感じ取り、現実の人生に活かせて頂けたら嬉しいです。