運命や宿業は変えられる?

思想/哲学

運命や宿業は変えられる?

私たち人間の人生を、大きく動かすもの、
運命や宿業などの 目に見えないものには、科学的な根拠はなく、言葉にも明確な定義があるわけではありません。
一般的な会話の中では、同じようなものとして使われている場合が多いでしょう。

では 運命や宿業は変えられるのか?変えられないものとして「受け入れる」しかないのか?
これは誰もが感じる疑問であり、人類にとって 永遠のテーマなのではないでしょうか。

結論から言えば、答えは分かりません。これは科学的に証明できるようなものではないという意味です。
仮に「運命が変わった」と思うような、人生に劇的な変化があったとしても、そう変化すること自体も 決められた運命だったと言われたら、返す言葉はないからです。

運命や宿業が変えられるかどうかは、主観でどう感じるかが大切だと思います。
正解が何かを知ることも重要かもしれませんが、自分がどう感じるかで、人生がどのように変わるかの方が大切だからです。

仮に運命が変えられないとすれば、決まった未来を受け入れるしかなく、受動的な人生になるでしょう。
どんな運命でも変えられると思えば、未来に希望が生まれ、活力のある生き方ができるでしょう。
だから「思想」が大切なのです。

運命とは元々、人間の意志を超えたところで、幸福や不幸をもたらす、人智を超えた力という意味合いがありました。
意味を深掘りすると、人間の意志、すなわち自分が認識している「意識」の領域で、こうなりたい、こうであって欲しいという願いが及ばないもの。

何か目に見えない力が働くことで、人生に吉凶を与える現象として起こることを 「運命」と呼んでいると考えられます。

これは、昔の主流の思想に、この世界や人間は、「神」などと呼ばれる、人の力を超越した 創造主のような存在があるという前提で生まれた概念だと思います。だから人の人生などは、「大いなる存在」に支配されており、いわゆる「運命」は変えられないものと考えられていました。

ところが、この昔の 西洋的な概念は、科学の発達と共に影響力が薄れてきました。

一方、宿業という概念は、東洋で生まれました。
人間が善い行いをしたら善業が、悪い行いをしたら悪業が積まれ、それが命に宿るという考え方です。
そして過去世からの宿業の結果が、今の人生であり、やはり「宿業は変えられない」という考え方が定着しているようです。

近年では、運命の概念が少し変わってきました。
運命とは、「命に運ぶもの」として捉え、自分の生き方で、いくらでも変えていけるものと 捉える場合が多いようです。

もはや本来の運命とは、全く意味が違います。どちらかといえば、「運」や「運気」の考え方になると思います。
目に見えない「運」と呼ばれるエネルギーを読んだり、取り入れるという実践行動をすることで、人生をより良い方向に導いていくことを、「運命を変える」と表現しているような気がします。

ところが、近年のこの考え方でも、「宿業」は変えられないと 区別して捉える場合が多いようです。

もちろん、何が正解かは分かりません。
でも、思想の根拠を知ることは、正邪・優劣をつける「考察」の大切なポイントです。

例えば、元々の運命の概念は、キリスト教などの西洋思想に根拠があることはわかります。
宿業の概念は、仏教などの東洋哲学に根拠があります。

では、近年生まれた「運命」の解釈は、何が根拠となり、どのようなルーツで生まれたものなのでしょうか?
どうも「希望的」に生まれた概念に思えるのですが、結論はここでは出さず、今後もう少し考察してみようかと思います。

いずれにしても「宿業は変えられない」という認識には変わりがないようです。
今回は、この点に注目したいと思います。

さて、私たちは幾代もの過去世の人生を生きてきました。
その中でも、強烈な感情を伴う、心に傷を負った過去世は、ホロスコープのドラゴンテイルに現れると読みます。
つまり、ドラゴンテイルには、過去世からのカルマ、つまり「宿業」が現れています。

人間は生まれてきた時から平等ではありません。皆、違う場所に、違った形で生まれてきています。
もちろんこれも宿業ではありますが、宿業は人生の途中で現れることもあります。

ホロスコープからは、過去世での経験値も読み取ることができ、
宿業の経験値が浅い人は、自分の宿業が自覚できない傾向が見えます。
経験値の深い人は、意識では自覚していないまでも、無意識の浅いところに「不安や恐れ」 「予感」として現れるようです。

ここから見えてくることは、宿業とは簡単に超えられるようなものではなく、幾代もの人生で、何度も何度も失敗を繰り返してきているであろうということです。

宿業の形は、人それぞれ違うので、現実に起きる試練としては、他者から見た場合は、大したことのない悩みと映る場合もあります。
しかし本人にとっては、何度も 苦しみを繰り返している感情が無意識に刻まれているため、
絶対に越えられないと感じてしまうような、いわゆる「究極の弱点」みたいな形で現れるということです。

だから、恐らくは、過去の人類のほとんどが、宿業は避けられず、乗り越えることもできないと感じるような「体験」をしていたのでしょう。
だから「宿業は変えられない」という思想が 定着し続けていると予想します。

では、本当に宿業とは、変えられないものなのでしょうか?
近代の様々な思想のベースには、運命は変えられるけど、宿業は変えられないという考えがあります。
だから、何気ない日々を プラスに変える力はあったとしても、
人生における最大の試練に直面してしまった時は、無力であったり、
現実から目をそらし、目に見えない世界に 逃避するような道しか示せないのかもしれません。

仏教では、宿業の重さを繰り返し語りながらも、
最終的な結論では、宿業は乗り越えられることを説かれています。

この思想を元に、科学的な根拠も思索しつつ、
導き出した考察理論が、多元宇宙 統合生命論であります。

変えられない運命や、乗り越えられない宿業はないという信念のもと、
現実世界を生きる、強い意思の力を発揮、
現実の悩みそのものを解決し、幸福な未来を 実現していく力があるという、
人間の 生命の尊さに、希望を感じてもらいたいと 期待しています。