人の想いや感情が現実世界を創る仕組み

人の想いや感情が現実世界を創る仕組み

世の中の様々な事象に対し、実験や観測などで普遍的な法則性を見出すことが科学のあり方です。
しかし、目に見えない世界は、直接的に図れるものではありません。

そこで量子論は、一般的な科学のアプローチとは違い、
先に仮説を立てて、その仮説の正しさを 一歩一歩証明してきている道のりを 歩んでいます。

現在主流の量子力学の「標準理論」においては、17種類の素粒子があると予想されました。
そして2012年に、ヒッグス粒子が発見され、17種類全ての存在が明らかになり、
標準理論の正しさを示す、科学の大きな前進となりました。

素粒子の標準模型においては、大きく2種類の素粒子に分類されます。
まずは、物質そのものを構成する元となる フェルミ粒子と、
物質化させる働きを助けるエネルギー的なもの、ボース粒子です。

これを少し哲学的に考察してみましょう。

科学の世界では、世界は「もの」で構成されていると考えられてきました。
そして「もの」は存在し続けるはずと、つまり普遍的に変わらぬ存在だと考えられていたのです。

ところが量子論によると、物質を構成する最小単位、素粒子には、粒子と波の性質があることがわかり、
「もの」といえども、ずっとあり続ける 単なる「粒子」の集まりではないという概念が生まれたのです。
言い換えれば、「もの」も変わり続けているということですね。

さらに哲学的な考察を深めると、
この現実世界は、「もの」でもあり「こと」でもあると捉えた方が良さそうです。

「もの」は具体的なイメージがあり、人間が五感や思考などの感覚で捉えることができます。
しかし「こと」は抽象的であり、具体的な形はありません。しかし無いといえば確かにあり、常に変化し続ける存在です。

仏教では、目には見えないけれど、確かにある存在を 「空」といい、
目に見える現実の物質的なものを 「仮」と捉えました。
そして「空」から「仮」が生まれる仕組みを明らかにされました。

「空」は宇宙生命のことです。心の性質も「空」と言ってよいでしょう。
私たち人間や、私たちの周りの環境、現実の物質世界そのものが「仮」となります。

そして「仮」は「もの」であり、「空」は「こと」であると解釈することもできます。

私たちが生きている、この現実世界は、「もの」でもあるのも間違えありませんが、
「こと」でもあると捉えるべきでしょう。

今を生きる私たちは、これまで「地の時代」を生きてきました。
地の時代は、物質的な価値、いわゆる「もの」に価値を持つ時代という特徴がありました。
だから、お金や土地、物などに囲まれることで、安心感を得たのです。

数年前から始まった「風の時代」は、「こと」の時代でもあります。
これからの時代は、目に見えない「心」や、人と人の「繋がり」といった、
目に見えないものに価値を感じ、大切にする時代になると予想できます。

だから、古い時代の「もの」にしがみついている価値観が、
崩壊していくような時代の流れを見させられているのですね。

素粒子の標準模型の話に戻りますが、
私たちの体や、この地球にある物質などは、フェルミ粒子で構成されています。

ところが物質は、ずっとあり続けているものではなく、
ボース粒子という「物質化させる働きを助けるエネルギー」があって、
物質として存在しているという点に注目です。

ボース粒子の中に、光子(フォトン)があります。
そして人の想い、感情や想念は、フォトンではないかと考えられています。
つまり、私たちの心が、この現実世界を創り出すエネルギーになっているのではないかと考えられます。

ちなみに私は、人の想いがフォトンであると断定するのは、早計であると考えています。
なぜなら、心の本質の解明には、現代科学でもやっとスタートラインに立てたばかりだと思うからです。
17種類の素粒子も、最低17種類はあるはずと予想されていたものに過ぎず、
今後もっと細分化が進み、発見に困難な新しい素粒子が見つかる時が来るかもしれません。

人間の体などの物質がそうであるように、心も一つの素粒子で構成されているとも限りません。

それでも、心から生まれるエネルギーには、ボース粒子の性質があることは正しいと思われ、
さらに哲学的に考察すると、
私たちの「心」という名の「生命それ自体」から、世界は生まれていると思うのです。

仏教では宇宙生命という「空」の中から、「因縁によって仮に和合している」のが、この現実世界であると説かれています。
因縁の因は、遥か遠い過去世から現在にかけて、何かの原因があることの結果、すなわち過去世からの宿業のこと。
因縁の縁は、周りのすべての人との縁、人との繋がりのこと。
これらが複雑に絡み合い、そして統合されて、一つの現実世界を創り出していると解釈できます。

イメージ的には、縦には、過去から現在に至るまでの心のエネルギーが、
横には、全ての他者との繋がりのエネルギーが、
統合されて、生まれた現実世界。

そして「今」という瞬間の、心に描いた想念、他者との関係が、再び宇宙生命にエネルギーとして流れ込み、
また最新の状態となって、新たな現実が生まれる。
この瞬間・瞬間の断続的な流れが、現実世界の真実なのだと思います。
だから「仮に和合している」といわれる所以なのでしょう。

そして、強い想いほど、強いエネルギーとなっているのは間違えありません。
ただしエネルギーが強くても、宇宙生命の全体のエネルギーに反していたら、個人のエネルギーなど簡単に相殺されて、消されたように統合されてしまうでしょう。
だから、個人の想いが、宇宙生命の流れに合致した時に、一段と高いエネルギーの世界が、
現実の世界として現れるのだと思います。