ハイヤーセルフの思想の持つ影響とは・・・
ハイヤーセルフは、高次元の もう一人の私。
ハイヤーセルフの言葉の起源は、近代神智学にあり、
現代では、魂は、高次元の魂の世界に 生き続けていると 考えられている場合が多いと思われます。
この魂の 本体みたいなものを、ハイヤーセルフと捉えているのではないでしょうか?
近代神智学では、キリスト教的な 「神」の概念を否定し、
インド哲学などを積極的に取り入れていきました。
古代インド哲学であるヒンドゥー教には、ブラフマンと アートマンが説かれます。
ちなみにインド哲学とは、古代インドから続く 思想の総称であり、
インドには哲学と宗教の境があまりないようです。
ブラフマンとは、宇宙を支配する 根本の原理。
アートマンとは、意識の最も深い内側にある、個の 根源の原理。
仏教の中で、ブラフマンは 梵天という名で、釈迦と対話したことで知られていますが、
あくまで擬人化した表現であり、釈迦が自身の「生命」と対話していたことが明確にされています。
ウパニシャッド哲学では、ブラフマンと アートマンは、同一であるという、梵我一如 が説かれています。
今でいう ワンネスに通じる概念ですね。
そして、宇宙の原理であるブラフマンが永遠不滅の存在であるならば、
アートマンも永遠に輪廻し続けることになると、展開されます。
ここで、やはりアートマンが、全体であるブラフマンから、分離独立した存在のように伝わった思想もあっただろうと思われます。
人間の魂であるアートマンは、永遠に存在し続けるもの。
死後も、どこかの世界で、魂は永遠に生き続けているのだと・・・
こうした言葉のままの世界観が、一人歩きし始めたのだと思います。
もはや言うまでもなく、ハイヤーセルフとは、アートマンのことではないでしょうか?
だから、ハイヤーセルフといわれるものの存在はあるとしても、
ハイヤーセルフもまた、人間が頭で理解しやすいように、本来の意味から分離し、一人歩きしている概念ではないかと考えます。
一般的に、ハイヤーセルフとは、私とは別の、もう一人の私と思われています。
高次元にある魂が、魂の本体であるならば、
現実に生きている私は「本体ではない」と捉えられるようになります。
実際にハイヤーセルフを語っていた知人たちも、正しい概念を理解していなかったのかもしれませんが、
少なくても彼らは、魂の世界にある 本体の価値を尊重するあまり、
現実の私を 軽く捉えているように感じました。
自称 ハイヤーセルフと繋がっているという 周りの人たちから感じていた違和感は、
ここだったのかもしれません。
肉体は借り物に過ぎず、この人生も一時的なものに過ぎないと捉え始めます。
魂は永遠であり、悩みも苦しみもない、完全な自由な世界にいると・・・
いわゆる「天国」のイメージを抱き始めます。
こうした思想を信じるようになると、
確かに死への恐怖は無くなるかもしれません。
しかし、現実を精一杯生きるという気力も薄れていき、
現実の課題から逃避したり、自ら大切なものを放棄し始めたりするようになりかねません。
実際に、現実への執着を捨てるという言葉をよく口にし、
人間関係や仕事、お金などを断捨離するパターンも見てきました。
いわゆる「魂不滅論」に偏り始めると、
「個」の存在を、強く感じる方向にいくのではないかと思います。
人間の未熟な心は、自身を個の存在として意識しています。
しかし心が成長し、全体としての生命、いわゆるワンネスを思い出していくことで、
人は他者を大切に感じるようになり、周りの人々の幸せを、世界の平和を願うようになっていくと思います。
全体を意識した上で、個の使命を感じていきます。
これが生命の成長なのだと思います。
しかし「個」 に対する意識が過剰に強くなれば、た の存在を「た」 と捉える意識も高まります。
ここに他者との分断の心が芽生え始めます。
そもそも一般的なハイヤーセルフの解釈自体が、
自分とは、別の自分がいると捉えており、自分さえも「た」 の存在に分けているかのようです。
だから、ハイヤーセルフと繋がることのできない人を、劣っていると感じてしまったり、
他者は、自分とはあまり関係のない 「他」 の存在になってしまうのでしょう。
仏教では、すべての悩みや苦しみを始め、すべてのことが自分に原因があると捉えます。
この地球の、日本という国の、今の時代に生まれてきたことも、自分が選んだことと捉えます。
すべてが自分だからこそ、自分が変われば、世界も変わると受け止め、
自己の成長に目を向けていくようになるのだと思います。
でも 「他」 を強く意識しすぎると、責任すら 「他」 に求めてしまうことになりかねません。
極端な場合、「自分は正しいんだ」「悪いのは周りだ」と感じてしまい、
自分が成長しようとしません。結果として、好転するべきものまで好転しない傾向が強くなるように思います。
未来の可能性を、自分で潰してしまっているようなものですね。
この「魂不滅論」の原型のような思想は、紀元前のインドにも存在しており、
釈迦は、これを明確に否定していたようです。
では、ハイヤーセルフと対話しているという人は、何と対話しているのでしょうか?