様々な生命の現在地、境涯の特徴を学ぶ

思想/哲学

様々な生命の現在地、境涯の特徴を学ぶ

人間の生命は、日々の生活の中でも常に変化し続けていて、それを「生命の状態」と呼びます。
また、自分がどの生命の状態にいることが多いか、ベースとなる自分の境涯を「生命の現在地」とします。

もちろん生命の現在地も変わらぬものではなく、
自分の生き方を変えようと 努力して進み続けることで、変えていくことも可能です。

逆に言えば、何の努力もせず、自身の境涯についても理解していない場合は、
いつまでも変わらず、そのまま人生を終えていく人もいるはずです。

古代インドで常識のように考えられていた輪廻転生の思想では、
人は、どのような生き方をしたかによって、違う世界に生まれ変わると考えられていました。

この思想をベースに、初期の仏教では、六道の境涯として表現され、
さらには 六道を超える生命である 四聖を示され、人間には十界の生命があることを説かれました。

それでは、まず六道の境涯を見てみましょう。
境涯は人間だけに限りません。社会がどんな境涯なのかもイメージしてみてください。

前回の動画でお話ししたとおり、絶望的な 悩みを抱えている人の境涯は、地獄界です。
地獄界の生命は、耐え難い不安や恐れ、そして絶望に支配されています。
ポイントは、生命のエネルギーを奪われていること。気力や活力さえも失っています。

餓鬼界は、激しい欲望に 囚われている境涯です。
人間の欲望は、何も悪いことばかりでなく、食欲が無ければ生きられないし、何かの欲があるから努力もできます。
しかし行き過ぎた欲望は限りなく、どこまでいっても心が満たされない状況に陥ります。

私たち大人が生きてきた地の時代の負の側面に、金銭欲や物欲などの 所有欲に偏る傾向性がありました。
地位や名誉、権力などを求める傾向もありました。
餓鬼界という言葉からは、お金が無く、食べるものにも困っているようなイメージがありますが、本質は少し違います。
例えば、有り余るほどのお金や、それなりの名声や地位を手に入れても、もっと増やしたい、手に入れたものを失いたくないと、欲に囚われた状態は、欲に 限りがなくなり、決して満足できない状態になってしまうのです。
外から見たら幸福そうに見えても、本人にしてみたら、幸せを感じられなくなっているのでしょう。

次に畜生界は、まさに動物のように、本能のままに「今だけ良ければいい」と、刹那的な快楽に身を任せているような人の境涯です。
人間は、他の動物と違い、物事の道理を理解できます。「今こうしたら、未来はこうなる」ということがわかり、将来を見据えた行動ができます。
しかし目の前のことしか見えず、目に見えている現実だけしか見ず、善悪や正邪の判断ができない状態の人を、畜生界の境涯といいます。

一昔前のもう少し裕福だった時代の日本には、こうした人が多かったかもしれませんね。
現実のルールでしか物事を図れず、「法に触れてなければ大丈夫」「匿名だからバレない」などと考え、「人としての道」を 踏み外している人が 多いようにも感じます。
一方では、精神性の探究や向上に 目を向け始めている人が 増えているのは、良い傾向だとも思います。

修羅界は、まさに争いの生命。すぐに怒ったり、常に 何かと争っています。
その本質は、自分が他者より優れていると思い込み、いわゆる 慢心の心に包まれています。
修羅といえば、いつも怒っているイメージがありますが、自分が優れた人だと 思われたいがため、善い人を演じる場合もあり、心の中では 自分より優れた人への 妬みなどが渦巻いている場合もあります。

修羅の生命は、地獄界などに比べたら、生命のエネルギーは上がっています。ただこのエネルギーの使い道に問題があるだけです。

怒りは悪い側面だけでなく、悪に対する怒りが、正義の行動になる時もあります。
境涯が高くなることで、自身の中の修羅の生命を、正しい方向に活用することもできるのです。

人界は、非常に落ち着いて 穏やかな状態であり、人間らしい境涯です。
言葉にするのが一番難しい境涯ですが、イメージ的には、サザエさん一家のような感じでしょうか^^

ただ、実際には人間らしく生き続けることは簡単ではありません。
人界の境涯では、確固たる自分を築けてはいないので、周りにいる 大多数の悪い縁に引きずられて、
低い境涯に落ちやすい傾向にあります。

人間の持つ様々な欲望、物欲や所有欲、名誉欲を始め、何か好きなことに打ち込む欲、さらには良好な人間関係などに恵まれて、まさに 喜びを感じている境涯を 天界といいます。
望んでいた恋愛が成就した時の楽しい期間なども、天界の境涯といえますね。
でも、こうした喜びは長くは続くものではなく、他の悩みや問題にぶつかると、すぐに低い生命状態に落ちてしまったり、時間と共に他の欲が出てきてしまうもの。
だから、目指すべき本当の幸福な境涯とは言えないのです。

さて、ここまで六道の境涯に触れてきました。
こうして言葉にしてみると、ほとんどの人が、この何れかにあたることがわかりますね。

そればかりか、社会的に地位が高い人、いわゆる成功者と言われている人ですら、
境涯という観点から見た場合は、六道の場合が多いようにも思えます。

言うまでもありませんが、今の社会全体ですら、境涯が低いことがわかります。

日本の場合、敗戦により、国民全体が地獄の境涯を体験してきました。
戦後の経済の成長、バブル全盛時は、一時の天界の状態であったと言えるでしょう。

そして今や、社会という現実が悪い方向に進んでいるように思えます。
本質的には、人々の境涯そのものが、落ちていると捉える視点も 必要なのかもしれません。

もし、このまま何も変わらなければ…
具体的に何がきっかけになるかは、思い当たることがあり過ぎてわかりませんが、
社会全体が、また地獄の状況に 落ちていく気がしてなりません。

そうであるならば、根本的な解決策も見えてきます。
私たち一人ひとり、気がついた人から変わっていけば良いのです。

誰か周りが変えてくれる、社会が守ってくれると考えるのは愚かです。
まずは自分と、その身近な周りから変わっていくしかないと思います。

風の時代のエネルギーを学んでいけば、
具体的に、何をどう変えていけばよいかのヒントはわかります。
時代は、私たちに応援のエネルギーを送ってくれていることも確かです。

あとは、私たち、一人ひとりの心の変革次第。

それでは次回は、目指すべき境涯の形を、考察していきましょう。