生命の現在地とは?より高い境涯を目指して
人間の生命は、瞬間、瞬間、変わり続けています。
何かの出来事が起こったり、何かを思考するなど、あるきっかけに縁することで、
生命の状態が変化します。
日常の中でも、常に変わり続けているのが「生命の状態」です。
仏教では、これを十界として説かれ、まるで違う世界にいるかのように、
心の中の状態は、変化し続けていくことを、譬えを用いて表現されました。
もちろん、これらは今の科学で証明されているわけではありません。
しかし、学べば学ぶほど、「確かにそうかも」と感じるところがあります。
同じ目に見えない世界でも、過去世や、死後の世界は、実際に感じることができません。
しかし「生命の状態」は、日々の生活の中での、心の働きなので、自分が身をもって感じることができます。
心の仕組みが解明されていなくても、「心は確かにある」とわかるように、
科学や理屈でどうのこうのいう以前に、「確かにそうだ」と認識し、実感できるものです。
さて、この生命の状態は、常に変わり続ける 心の状態のことであるならば、
ゆっくりと時間をかけて、心が成長していくように変わっていく、「生命の現在地」についても語っておきたいと思います。
生命の現在地は、今現在の自分の「境涯」のことです。
境涯という言葉は、過去世が原因となり、その結果として生まれてきた 自分の立場のようなもの。
イメージ的には「生まれつき与えられた 運命のようなもの」という意味で使われる場合もあります。
しかし、ここでいう「境涯」は、
十界の生命のうち、今の自分が、どの生命状態にいる時が多いか、
つまり生命状態の基底部という意味で捉えてください。
もちろん、誰もが一日のうちに、様々な生命の状態に移り変わります。
しかし、すぐに「いつもの状態」に引き戻されるかのような、一番自分のベースとなっている生命を、境涯と捉えます。
例えば、大きな 悩みを抱えている人の境涯は、地獄界に落ちてしまっています。
地獄界の生命は、常に 耐え難い不安や恐れ、そして絶望に支配されています。
さらには、生命のエネルギーを失っているという特徴があるので、ひどい場合だと、生きる気力すら 無くしている こともあるでしょう。
だから「頑張れ」と言われても、頭では頑張らなくてはと思っても、
エネルギーが無いから自分ではどうしようもないのです。
他の境涯の紹介は、次回にまわしますが・・・
寝ても覚めても苦しみに囚われている地獄界の状況の人でも、
お腹がすき、ご飯を食べたいと思えた時は、餓鬼界の生命です。
ペットに癒され、ひと時の人界の状態になることもあるでしょう。
友人の励ましで、天界の状態になることだってあります。
このように、どんな境涯の人でも、生命の状態は常に変化します。
しかし、すぐに地獄界の状態に戻されてしまいます。「境涯」そのものが地獄界に落ちてしまっているからです。
このような自分の生命の現在地、すなわち境涯は、永遠に続くとは限らず、
自分の意志で変えていくことができます。
もちろん時間はそれなりにかかるかもしれません。
それでも、決して不可能なことではありません。
逆に、一生変わらない人もいるかもしれません。
例えば、かねの亡者のように、財産にだけ執着した人・・・
強い怒りや憎しみの心に取りつかれ、復讐の心で生きている人・・・
よく「人間性は変わらない」と、他者を評価してしまう人がいます。
きっと、自分が変わったことがないから、わからないのでしょう。
でも、中には短期間で大きく境涯を変える人が現れます。
それは多くの場合、耐え難い苦痛を伴う、悩みや困難を体験し、それを乗り越えた人だと思います。
いわゆる一度、地獄界の苦しさを体験した人ですね。
恐らくは、過去世からの業の試練に直面し、それを克服することで、自分の生命に託された使命を、まるで強制的にと思えるように「思い出して」いくのでしょう。
人は、経験したことのない大きな試練にぶつかった時、
「これまで何がいけなかったのか」「どうすればこの状況を打開できるのか」と真剣に考えると思います。
その原因を、自分の外にある何か、例えば他者や、環境のせいにしていた時にはわからないことが、
自分自身の心の内に原因があるのだと気が付いた時、
これまでの自分の「境涯の低さ」を実感するでしょう。
逆に言えば、このようなことが無い限り、自分の生命の現在地に、気が付かない人が多いのだと思います。
だから、業の試練に直面することは、「宇宙生命の私」から与えられた チャンスなのではないでしょうか。
ここで、「自分を変えよう」「自分が変わろう」と決意した人は、
より高い境涯を自然と目指すはず。
もちろん、何度も何度も引き戻され、葛藤するかのように「生命の状態」は日々変化するはずですが、
強い意志を持ち、弱い自分と戦うように努力を続けるうちに、「生命の現在地」は次第に変わっていくはずです。
仮に境涯が変わっても、目の前の具体的な問題や困難の状況は 変わっていない場合もあるかもしれません。
それでも、境涯が変われば、ものごとの見方が変わります。
悩みは目標に変わり、困難は成長の為のきっかけに変わります。
心が変わるので、状況に対して感じる「感情」が変わります。
地獄の生命の時は、苦しくて悲しみに包まれていた感情が、
この悩みがあったから自分は成長できるのだという「感謝」の気持ちに変わることだってあるのです。
現実の世界が変わるには、時間がかかるかもしれませんが、
自分が変われば、結果として、周りの状況も、自分の境涯にふさわしい形に変わっていくはずです。