ソウルメイト・カルマメイト・ツインレイの考察

思想/哲学

ソウルメイト・カルマメイト・ツインレイの考察

言葉のルーツと概念

今回は、スピリチュアル業界などでよく聞く、ソウルメイト・ カルマメイト・ ツインレイなどの概念と、存在の有無を考察してみます。
結論から言えば、答えはないです。定義もあやふやですし、確かな根拠もないからです。
答えは、自分がどう感じるかで出していけばよいと思います。

ソウルメイトとは「魂の伴侶」のこと。過去世から続く特別な縁と捉えることができます。

カルマメイトは、過去世からのカルマ、どちらかといえば「悪業」による因縁を抱えて、その因縁を解消するために、今世で再会している関係だと考えられます。

一般的にはソウルメイトは良い関係、カルマメイトは悪い関係と捉えられがちで、カルマメイトとは縁を切った方がいいという話も聞きます。

しかし、占星術などで過去世リーディングを行なうと、今世で出会っている身近な人は、過去世から、何かしら解消すべきカルマを抱えている関係だとわかるので、悪い縁を持ったカルマメイトと縁を切るべきなどと捉えたら、親子や家族の縁まで、ほとんどの関係を切らなくてはならなくなります。笑

もし穏やかで、仲の良い関係だけであったら、お互いが成長するための足を引っ張り合うことだってあり得ると思います。
だからソウルメイトとの関係であっても、何かしらの悩みや問題が起きて当然だとも思います。

今世のパートナーは、過去世でも深い関係があって、必然的に出会っています。これが因縁です。
言い換えれば、共に乗り越えていくべき課題を持ち、その先に、共に達成するべき使命を持っている、生命のパートナーだと考えられます。

だから現実的に、悪い縁に見えたとしても、出てきた課題を克服していかないと、未来世に持ち越すだけの話です。
もし今世で、お互いを傷つけて 関係を絶ってしまう場合は、お互いに悪業を積み重ねることになるので、未来世ではもっとハードな状況で 再会する可能性が高いのではないでしょうか。

もちろん出会った人 全てと、最終的に深くて良好な関係になるかといえばそうとは限らず、
課題をクリアすることで、直接的な関係は無くなる場合もあるでしょう。
関係が次のステージに進むかどうかは、過去世からのカルマではなく、お互いの使命に よるものだと思います。

ソウルメイトの概念は、古代ギリシャの哲学者 プラトンに始まりました。
元々は両性具有の人間が、2つに引き裂かれて男と女になったという説話から来ているようです。

ソウルメイトの言葉は、1822年に イギリスの ロマン派詩人 サミュエル・ テイラー・ コールリッジが、女性に送った手紙の中にあった言葉だそうです。

近代神智学では、人類は元々両性具有の霊的な存在であり、霊的に退化して男女に分かれたと捉えていました。

そして18世紀、エドガー・ケイシーは、人間は転生を繰り返して自分の片割れを探していると。霊的進化を果たして、カルマを解消したら、ソウルメイトと融合して元の霊的な存在に還ると考えたそうです。

近年の概念は、エドガー・ケイシーから影響を受けていると考えて良さそうです。

こうして、改めてルーツを調べてみると、しっかりとした根拠には欠けることがわかりました。
そもそも元々人間は、霊的な存在だったのか?両性具有から男女に分かれたのか?
これ以上は思考を停止しておきます。笑

エドガー・ケイシーの思想は、ソウルメイトというより、ツインレイに近いと思いました。

ツインレイとは、自分の魂の片割れが、どこかにいるという認識でいいかと思います。
ただ近年のスピリチュアル的解釈では、本来の自分の魂の片割れという意味ではなく、
前世で一つだった魂が二つに分かれて転生してきた関係、という意味で使われているようです。

ちなみにツインレイの言葉の起源は、アメリカのスピリチュアリストである、リサ・J・スミスが、
1999年に サナンダ (キリスト意識)からチャネリングして降りてきた概念だそうです。
この内容によれば、男女の統合が目的みたいですね。人間を霊的な存在に戻すためってことだと思います。

こう調べていけば、エヴァンゲリオンでいうところの「人類 補完計画」を真剣に 考えていた人って少なくなさそうですね。笑

人類 補完計画とは、作中の言葉によると、
「出来損ないの群体として、既に行き詰まった人類を、完全な単体としての生物に進化させる計画」のことです。

簡単にいえば、「個」 の人間は未熟で愚かだから、一つになって、神のような存在になろう・・・とのことですね。

作中では、人間がひとつになる残酷さを、見事に映像化していました。
それゆえ、数多くのトラウマシーンもありましたね。

エヴァのテーマであるアンチテーゼとは、ある理論を否定するために作られた、反対の主張という意味ですが、
肉体を捨てて、ひとつの神になることの過ちを、心に刻まされた作品だと思います。

本来、人間は宇宙生命として同じ生命です。
でも現実世界では、「個」 の生命として生まれてきた意味があるはず。
だから、本来の目的を忘れ、魂の一体化などを、極端に求めてしまったら・・・

私たちは、「個」 の人と人として生まれ、出会いを繰り返しています。

人生で出会う身近な人たちとは、何か大切な目的のもと、
時には共に同じ方向に進み、時には衝突しあい・・・
出会いと別れを繰り返しながら・・・

お互いが目指している使命を果たすために、まるで役を演じている役者のように・・・
立場は違っても、同じ未来に進んでいく、生命のパートナーなのだと思います。