生命・魂・心、目に見えない命の概念

多元宇宙統合生命論

生命・魂・心、目に見えない命の概念

人間の命を表す言葉として、生命・魂・心など、様々な表現があります。
これらの定義には明確な基準はありません。
一般的には、同じような意味で使われていますが、これらの違いを少し考えてみましょう。

もちろん 決まった定義がない以上、答えはありません。

まずは「生き物が生きていること」 そのものを「生命」と捉えます。
しかし「生き物とは何か?」「生きているとは?」と考え始めるとキリがありません。
地球や宇宙なども、常に変化し続けていることから、生きている「生命」とも捉えられますね。

次に「魂」は、比較的、共通した認識がありそうです。
人間は、肉体と魂で成り立っており…
人が死んだら、肉体は失うけど、魂は残るという捉え方です。
死後の魂が、その辺を浮遊している 霊魂のようなものか…
何度も 輪廻転生して、新しい肉体に宿り続けるようなものなのか…
という思想の違いはありますが、概念的には理解しやすいですね。

心は、目には見えないけれど、確かに「ある」と誰もが実感している存在です。
人間の精神作用そのものであるとか、人間の知識や感情、意思の総体であるという概念で、
これも理解できそうです。

さて、正しい定義は何か?という考察はしません。
科学的に証明できるものでもないからです。

ただ、どう捉えるかによる、人生への影響を考えてみましょう。

私も、人間は肉体と魂で成り立っているという一般的な概念のままに「魂」という言葉を使う場合があります。
恐らくこの表現が、一番伝わりやすいからです。

ただし死後も、魂は「魂の世界」で生き続けるというような、霊魂の不滅説は、大きな誤解を生むと思います。
人間の本質は、魂であり、肉体は一時的な借り物に過ぎないというような考えです。

この考え方を、言葉通りに受け止めたら、確かに 死が怖いものではなくなるかもしれません。
でも、現実の世界での出来事や、肉体の「生」を軽視する傾向が起こると見ています。

悩み苦しむ現実よりも、魂だけの世界の方が 幸せだと思ってしまうかもしれませんね。
だから目の前に悩みが困難があっても、目を逸らしたり、逃げてしまうことに成りかねません。
解決できる問題も改善せず、成長も生まれない傾向性に 陥りがちな場合も多いでしょう。

極端な場合、死んだら幸せな世界に行けるのだと勘違いを起こしやすく、
結果として「生」に対する希望を失っていくような気がします。

これでは人間として「生まれてきた意味」から遠ざかることを意味しますね。

生命の流転や、死後の世界などについては、別の機会にゆっくりと考察したいと思いますが、
生命は、肉体の死後、宇宙生命に溶け込み、一体化するようなイメージではないでしょうか?
宇宙生命のどこかにいるのではなく、宇宙生命そのものになると表現した方がいいかもしれません。
仏教では、これを「冥伏」すると言います。

私たちの生命は、宇宙生命と同一です。「空」の概念です。
そして個の人間としての生命は、全体から「顕在化」した「仮」の状態なのでしょう。

ただし、西洋思想で「真我」と呼ばれているような、「個」の存在を示すものも確かにあり、これを「中」と呼びます。
だから私たちは、まるで過去世の「記憶」を引き継ぐかのように、自分に課した個の「使命」を果たすために、この現実世界に、何度も何度も「涌現」してくるのだと思います。

だから、人間として生きている「今」が大切になってきます。

もし、目の前に起きている課題から逃げてしまったら、また未来世でも同じ悩みにぶつかるでしょう。
その時は、今世の業もプラスされ、一段と重いものになるはずですね。

でも課題を乗り越えて、成長した暁には、新たなる 次のステージに進んでいけるはず。

この人生で使命に気が付き、立ち上がれた人は、幸福への大道に一気にと進めると思うのです。

心こそ不思議なものはありません。
心より大切なものもありません。

私たちが目指すべき道は、心を磨き、心を育てることだと思います。

教育とは、知識を得ることが目的ではなく、
知識や思考も糧としつつ、心を開き、心を創るための 道を示していくことだと思っています。

それができるのは、人間として生きている 「今」なのではないでしょうか・・・