多元宇宙を感覚で感じる
私たちが 世界と呼ぶ宇宙は、複数存在する。
最先端の科学では、多元宇宙、マルチバースの世界観が 語られています。
もちろん 科学的な実験や観測で 証明することのできない 目に見えない世界のことであり、
仮説の段階に過ぎない理論ではあります。
また複数の宇宙が、どのような形で存在するかということになれば、様々な説があり、
物理学から哲学、フィクションの世界まで、深い関心が持たれているのは間違えないですね。
少なくても「私たちの認識している宇宙以外にも、別の宇宙がある」
「宇宙は一つではない」
という解釈は、今では主流と言えそうです。
さて、無数の宇宙があると聞けば、誰もがイメージするのが、
パラレルワールド、並行宇宙のイメージなのではないでしょうか?
私たちはパラレルワールドを題材にした創作物に、たくさん慣れ親しんでいます。
私たちの生きているこの世界とは別に、並行した世界がたくさんある。
そこには、この世界の私とは、違う可能性に生きている別の私がいるかもしれない。
空想の物語では、このパラレルワールドに行き来する話が多数あり、
もはやそれが 真実かのように思っている人も いるでしょう。
パラレルワールドは量子論で証明されているという話まで、よく耳にしますね。
そして一般的なパラレルワールドの解釈では、
この現実世界と時間軸を同じにする、別の空間にある世界のようにイメージされています。
パラレルワールドにも、過去、現在、未来といった時間の流れがあり、
どこかで何かの出来事が少し違うだけで、未来が変わってくるという物語は、
確かにイメージがしやすく、創作物としては魅力的な題材です。
中には、自分の意識を変えることで、別のパラレルワールドに移ることができるというような説もあり、
自己啓発などの場で、よく耳にします。
これらからわかることは、一般的にイメージされているパラレルワールドとは、
空間の概念や 時間の概念が、私たちの生きている三次元の世界と変わらないように思われているという点です。
だから、より専門的な科学の視点からは、否定されているのでしょう。
科学的な証明ができない世界のことは、何が正解かの答えは出ません。
私たちにできることは、考察をすることだけです。
とはいえ、多元宇宙を感覚的に捉えることはできると思います。
私たちは、日々の生活の中で、様々な出来事、変化に直面します。
そして、これら環境の変化に 縁することで、心の状態も変化します。
何か楽しいことがあれば、心が喜び、ワクワクした気持ちになることもあれば、
次の瞬間、何か嫌なことがあれば、突然、怒りの心が出てきたり、悲しくなることもありますね。
これらの心、感情などは、どこにあるのでしょうか?
私たちには、どこからか突然現れ、突然消えていくように感じます。
でも冷静に感じてみれば、これらの心は、無くなってしまったものではなく、
いつでも「ある」ように感じます。
あるけれど、自分で感じていないだけ。
どこかに「あり続けている」心が、何かのきっかけに 縁することで、表に出てきただけなのかもしれませんね。
私たちの心の変化は、環境的な変化に 縁することによって 起こるだけとは限りません。
例えば、何か未解決の悩みを持っていたとしましょう。
これらの悩みは、具体的な環境の変化がある時には、激しい感情として心を襲います。
悩みは時間が解決するものと思われていますが、
確かに時間が経てば、出てくる感情も落ち着いてきたり、意識から忘れていくものかもしれません。
しかし、解決していない悩みは、心の中から消えてしまうわけではありません。
心のどこかには確かにあるもの。
悩みによって起きた、大きな感情は、無くなったように感じていても、消えたとは限りません。
時には、トラウマ、心の傷として出てくるケースも あるでしょう。
過去世の心の傷ですら、今の私に残っている場合だってあると 考えられるのですから。
これらの感情は、悩みの元となる問題を思い出したり、頭によぎるだけで、
意識の中に生じることもありますね。
時には、夢を見ただけで、この感情が 顔を出すことも。
現実的な環境の変化が起こっていなくても、
何かを「考える」「想像する」だけでも、心は動き、感情は変化します。
これを客観的に捉えると、
やはり心は、意識に感じていないだけで、どこかにずっと「ある」ことには違いないようです。
これを哲学的、仏教的な表現でいえば、
全ての心は、宇宙生命の中に 冥伏しており、
何かに縁することで、意識下に 顕在化するということになるのでしょう。
多元宇宙といっても同じなのではないでしょうか?
全ての空間や時間はもちろん、次元の異なる全ての世界を表す、
全体の生命である「宇宙生命」の中には、
無限ともいえる可能性の世界が、一体化して冥伏しています。
そして、私たちの過去世から現在に至るまでの因と、
全ての生命との絆、すなわち縁が、複雑に絡み合うように、
「今」という現実世界を 顕在化させているのではないでしょうか?
これは、私たちの意識している現実世界のような世界が、幾つも存在するのではなく、
あくまで、幾つもの可能性の中から、私たちが「今この時」「この世界」を 選んでいるのです。
だからこそ、今というこの瞬間を大切に生きることができるのだと思います。
もちろん、どんな未来を選ぶのかも、今を生きる私たち次第なのではないでしょうか?