人は長縁の時を転生してきている

人は長縁の時を転生してきている

私たち人間は、幾代もの過去世を 輪廻転生し、生まれ変わってきています。

この世界は、大いなる神が創ったと 広く信じられていた時代とは違い、
今では、当たり前のように受け入れられています。

イメージしやすく表現すると、
生命の生まれ変わりが 縦に続いていく世界観だとすれば、
多元宇宙は 横に広がる世界観と言えそうですね。

人間は本当に生まれ変わっているのか、多元宇宙は存在するのか、
これら 目に見えない世界は、科学的に完全に解明されているものではないので、
何が正解かは、わかるものではありません。
私たちは、思考の力を借りて、考察するしかありません。

よく転生の話をしたり、過去世リーディングを行う人が、
人間は 何回くらい生まれ変わっている、と数を口にすることがありますが、
何を根拠に、このような数を言っているのでしょうか?

恐らくは、簡単な計算が元になっていると思います。
例えば、100年生きて、100年眠っているとします。
仮に1万年輪廻を繰り返したとすれば、50回生まれ変わったことになりますね。
20万年とすれば、1000回になります。それなりの回数になってきました。

さて、輪廻転生といえば、仏教で生まれた概念と思われがちですが、
実際は、仏教以前の古代インドでの 常識的な概念であったそうです。

仏教の祖である 釈迦は、当時の一般的な世界観を尊重し、
人々が理解しやすいように、輪廻転生の考え方を取り入れていました。

しかし、釈迦は「輪廻は存在しない」としていたという説もあります。
何が正しいのでしょうか?

結論からいえば、両方共に正しいのかもしれません。
これは、現代の科学的な目から判断すればわかります。

私たち人間は、三次元の現実世界を生きています。
現実世界には、過去・現在・未来という時間軸があります。

しかし、四次元以上の高い次元の尺度で見ると、時間の概念が存在しなくなることも科学的にはわかっています。

ここで、三次元と四次元の世界は別だと考えてしまいそうなのですが、そうではありません。
正確には、人間の五感では、三次元しか感じることしかできない、というだけのことです。

だから、私たちの世界を四次元の尺度で見た場合は、時間が存在しない、
すなわち輪廻もしていないことになるはずです。

仏教では、輪廻転生の教えは、何度も何度も出てきます。
そして釈迦は、生命の本質を、人間が理解できるように「譬え」を使って説いたといいます。

より本質的な世界観においては、人の瞬間の生命の中に、過去も未来も同時に存在していることが説かれており、
どちらが正しいかではなく、どちらも正しいのだと結論づけていることが、わかります。

まさに、現代科学で解明されてきたことが、数千年も前に語られていたことに驚きを感じます。
むしろ科学がやっと追いついてきたと言えるのかもしれませんね。

さて、仏典には輪廻の回数の記述がたくさんあります。
しかし、これらの回数は、天文学的な数字であり、
先ほどのような計算をした場合、地球誕生より 遥か遥か前から 輪廻転生を繰り返している計算になってしまいます。
もちろん、これも譬えなのかもしれませんが、ある意味では真実なのかもしれません。

なぜなら、私たち人間が輪廻を繰り返しているのなら、
同じ生命である、地球や太陽、私たちが宇宙と呼んでいる空間そのものも、輪廻しているかもしれませんから。

宇宙が誕生し、いつかは無くなり、全てが無に帰る。
これは、地球は動かずに、空の星々が地球の周りをまわっているのだと信じられていた、
中世以前の概念と、同じような発想なのかもしれません。

人間は、人間が理解できる概念で捉えようとしてしまいます。

多くの人が認識している輪廻転生といっても、パラレルワールドなども、
あくまで 三次元の尺度でイメージした世界観であるということがわかりませんか?

私たちの生命は、もしかしたら、とても数えきれないくらいの長遠の時を、生まれ変わっているのかもしれません。

そして、高い次元の尺度から見た場合は、
これらの世界は「今」という瞬間の、私たちの心の中に、全てがあるのではないでしょうか。

考察すればするほど、生命の深淵さを感じることができますね。