人と人を繋ぐもの。共業、同じ使命を持つ絆
私たち人間は、宇宙生命と同一です。
宇宙生命を広大な海に例えた場合、私たちは波のような存在。
波といえども海そのもの。海の「働き」についた名前でしかありません。
何も変化がないところには、何も生まれません。成長もありません。
だから私たちは、宇宙生命に変化をもたらす「働き」として、何かの使命を持って生まれてきました。
同じ波の中でも、ひとつの波頭は、同じ使命を持ち、幾代もの人生を共にしている存在。
家族、友人、同志・・・。周りの大切な人たちは、何かの同じ目的を持って、何度も生まれ変わり、何度も出会い続けているのでしょうね。
もちろん、立場や役割は変わるはず。
きっと同じ使命を果たすために、人生という大きな舞台で、役を演じ続けているのです。
さて、ユング心理学では、人間の無意識の底に、人類共通の集合的無意識があるとされました。
例えば、蛇を嫌ったり、怖いと感じ人は多いと思います。これは、人類の祖先が、過去世で恐竜などから受けた恐怖が記憶として残っているのではないか、と考えられています。
もちろん私たちには、思考上、そんな記憶はありません。でも「感情」は、無意識の中に残っているのかもしれませんね。
例えば「母」といえば、優しく、包んでくれるイメージがあります。
これは人類が共通して抱くイメージで、生まれたばかりの赤ちゃんにも備わっていると思われます。
ユングは、無意識の奥に、共通したイメージを持っていることに注目し、集合的無意識の存在に辿り着きました。
そして様々な共通イメージを分類し、アーキタイプ(原型)という、心の動きのパターンを見出しました。
この視点は、現代の占星術の解釈にも取り入れられています。
例えば、冥王星は、地球から見た場合、動きが遅い星です。だから同世代の人は、生まれた時に冥王星のある星座は同じになります。
ここにアーキタイプを当てはめることで、世代ごとのテーマ、人類をどのような方向に成長させていくかという、共通のテーマが見えてきます。そこから、人生でどのような課題に直面し、どの方向に成長していくべきかという道筋を読むこともできます。
確かに、世代が変われば、世の中の状況も一変するので、世代ごとのテーマはあると思います。
今が風の時代と言われているのも、冥王星が水瓶座に入ったことが一番のポイント。
これからの子供達は、物質的な価値や、人が決めたルールに惑わされない、新しい世界を創り上げ、私たち大人をも導いていく共通の使命があるのだと思います。
占星術では、生まれた時に、冥王星がどのハウスに入っていたかも重要です。
これは世代が同じでも変わってくるので、その個人が持つ、「人類の一員」としての大テーマが見えてきます。
もちろん他の惑星からも、個人の使命を読むことができますが、冥王星の示す「大きなテーマ」の元に、個人としてどの分野で、どういう使命を果たしていくべきかと、より個別のテーマが与えられていることがわかってきます。
ユングのアーキタイプでは、心の二面性にも言及しています。
先ほど紹介した「グレートマザー」のアーキタイプでは、優しい母という一面だけではなく、束縛したり、拒絶をしたりという、負のイメージもあります。
今回の動画のテーマからは外れるので、また別の機会に掘り下げたいですね。
さて、仏教においては、今の私の原因は、過去世も含めた「過去の私」にあるとされます。
過去の私が、善い行いをしたら善業が、悪い行いをしたら悪業が、生命に貯蔵されていき、
これらの業が種となり、現実の世界が実ると説かれます。
この業を、別の視点から捉えた場合、
一人だけで積んだ業を「不共業」といい、他者と積んだ業を「共業」といいます。
人はひとりだけで生きているものではありませんね。
人は誰かに育てられ、誰かに助けられ・・・
そして時には、誰かを傷つけ、傷つきあいます。
悩みの中でも、人間関係に関するものが多いのも、いかに共業が多いかがわかります。
例えば、誰かと喧嘩をしたり、トラブルを起こした場合・・・
どちらがより悪いかなどは、生命の世界ではあまり関係ありません。
例えば、詐欺にあった場合、現実ではもちろん騙した方が悪く、悪業を積むのは間違えないのですが、
騙された方も、詐欺師を恨み、憎み、やはり悪業を積んでしまうからです。
生命の視点では、「詐欺問題に直面する」という結果がポイントであり、
どこかの過去世では、騙された側が、相手を騙していたかもしれないのです。
一緒に、より多くの人を騙し、傷つけていた過去があったのかもしれません。
ここで業を断ち切らない限り、未来世では、今度は自分が騙す側になるかもしれません。
こうして、永遠に同じような課題で、苦しみ続けてしまうのでしょう。
もちろん業とは、悪い業だけとは限りません。
過去世の善業の結果が、今の幸福になります。
そもそも、この地球という豊かな大地に、人として生まれてきたこと自体が、過去世の善業の結果です。
この時代に生まれてきたすべての人は、同じ共業の結果で生まれてきました。
日本に生まれ、日本独特の課題に直面しているのも、共業の結果です。
そして、この人生で出会う人・・・
家族や親友などの身近な人は、宇宙生命という広大な海の、同じ波の中でも、飛び散る小さな波飛沫のような存在・・・
何か同じ使命を持ち、立場を変え、幾代もの人生を共に生き続けている、永遠の生命のパートナーです。
共業といっても、向き合い方は、普通の業と変わりありません。
課題が明確になったら、自分が成長して、乗り越えていくだけです。
そして同じ共業のテーマに直面していても、個々に与えられた課題があるのだと思います。
だから、自分以外のパートナー達が変わっていくことを期待するのではなく、
共業の本質に気がつき、自分が変わり、自分が乗り越えていけばよいのだと思います。
各々に与えられた使命は、その人のタイミングで、その人の成長に一番必要な形で現れてくるはずです。
でも「私」が業の課題を乗り越え、新しい未来を切り拓いていった時には・・・
同じ共業を持つ、生命のパートナーたちの未来も、同時に変わっているはず。
なぜなら、共業のパートナーとは、同じ宇宙生命の中でも、
自分の分身とも言える、自分と同じ生命を共有した者なのだから。
自分が変われば、周りも変わります。
これが国や、世界の規模でも同じだと思います。
周りが変わることを期待する前に、まずは気がついた自分ひとりから変わっていけば・・・
未来は、既に新しい道に進んでいることを信じて。