夢は無意識からのメッセージ
人間の心には、意識と無意識があります。
自分でわかっている心の領域と、自分では把握できない心の領域・・・
そして無意識の中にある感情や想いが、自分では理解できていなくても、普段の思考や行動、さらには体調などにも影響していることが、解明されてきています。
無意識の中には、忘れてしまった幼少期の心の傷や、さらには人類としての記憶なども残っていると言われており、少なからず「今の私」に影響を及ぼしているようです。
寝ている時に見る「夢」には、無意識から何かのメッセージが込められているのかも しれませんね。
さて、心理学では「夢」をどう解釈しているのでしょうか?
無意識と夢の関係性を探求し、精神分析学として確立した心理学者が フロイトです。
フロイトは夢の内容を分類し、それを分析することで、精神の治療に応用していきました。
分析心理学を生み、現代心理学に大きな影響を与えたユングは、
フロイトの理論にはっきりと異議を唱え、独自の夢分析を生みました。
ユングは 科学的探求だけではなく、より思想的、宗教的な見解も取り入れました。
人間の無意識の奥に、人類全体の記憶ともいえる、集合的無意識があるとされ、そこに元型・アーキタイプという「心の働き」が刻まれていると考えました。
ユングは、無意識と意識のバランスを取ることで、単なる心の治療だけにとどまらず、
より高い自己実現を目指したと言われています。
こうした基盤の上に、近代心理学は発展し、人々の精神の安定に貢献を果たしているのは疑いようがありませんね。
私自身、意識と無意識のバランスを崩すことが、肉体の不調となって現れること、そのバランスを正すだけで、肉体の痛みが消えたり、心の安定がなされることを、自分の体験として実感しています。
私の場合、夢はよく覚えている方だと思います。
夢を見ることで、心が乱れてしまうこともよくあります。
見た夢の内容は忘れてしまっても、感情が大きく揺さぶられていたり、夢と現実のギャップで心が揺らぐこともあり、それが肉体の痛みとなって現れることもよくあります。
フロイトとユングは、夢からの解釈は異なっていました。
でも無意識が、夢に関係するという点では、一致していたのだと思います。
誰もが、理論・理屈はわからなくても、夢が何かを伝えていると感じるのではないでしょうか?
さて、仏教では 空・仮・中 を説きます。
空とは目に見えない世界。
「有るようで無く」「無いようで有る」世界を「空」と表現します。
仮とは、有無のはっきりした世界。この現実世界のように「有る」とはっきり言えるもの。
素粒子は人間の目には見えません。遠く離れた夜空の天体も、肉眼で見えるとは限りません。インターネットやスマホの電波も目には見えません。
しかし これらは、科学の眼で、はっきり「有る」と言えるので、「仮」となります。
人間の心や、夢は、確かにあるけれど、あることを証明できないので、「 空」になるでしょう。
つまり「夢」や「無意識」の仕組みは、現代の科学では、とても証明できるような世界ではないということです。
あくまで関連性が、臨床例などを通して統計的に 判断ができる だけなのですね。
だから心理学の中で、「これが正しい」「あれは間違えだ」みたいな話が出てくるのだと思います。
結局は、科学では遠く及ばない生命の神秘・・・ 。 無意識にどのような情報があるのか、という捉え方によるのだと思います。
幼少期のトラウマや、普段は抑え込んでいる欲望が、夢に現れるというのは間違えではないと思います。
でも、これが全てでも無さそうです。
人類全体の過去からの記憶のようなものから、何かしらのメッセージは確かにあるのでしょう。
無意識の世界を、宇宙生命そのものだと捉えた場合・・・
量子論の 多元宇宙の仮説のように、無限とも言える 可能性がある世界が、幾つも存在しているのかもしれませんね。
こう考えた時、私たちは夢の中で、この現実世界とは違う、別の可能性の世界を体験しているのではと想像します。
夢は、色や形が現実と違ったりします。時間軸も、空間的にも現実のような決まりがありません。
過去世の自分を体験している時があるのかもしれませんが、
明らかに、時代の違う、異国の地にいるような夢は、見たことがありません。
むしろ現代風な環境にいる夢が多いような気がします。
夢では、登場人物の姿形が現実と変わることがあります。
例えば、自分の子供とは違うのに、夢の中では「これは私の子供だ」と認識していたりします。
それでも、一つだけ確かだと言えることがある。
少なくても覚えている夢では、「私」のことを「私」だと認識しています。
「私」は別の人格ではなく、夢の中でも 「私」なのです。
仏教でいう 「中」とは・・・
この世界の真実を、「空」が本質で、「仮」が仮のものと捉えるのではなく、
「仮」である現実世界こそ全てで、目に見えない「空」を否定するのでもなく、
どちらも間違えではなく、どちらも正しいと捉えることを「中」と表現します。
同時に、「空」である「私」の存在、「仮」として生きる現実の「私」、
そのどちらも正しいとする、普遍的な「私」の生命を「中」と捉えます。
こう考えても・・・やはり夢の中の「私」は「私」であり、
別の可能性の世界を体験しているのでは、と思えてなりません。
もちろん、夢で体験したことが、必ずしも現実化するわけではありませんね?。
しかし夢の中でも「私」であるということは、
無意識の自分の心を、感じることができるということ。
夢の中で、楽しい、嬉しいと感じたことは、心が望んでいることなのです。
夢の中で、悲しい、苦しいと感じたことは、心が望んでいないのでしょう。
夢の中では、「意識」の中にある、「思考」の制約、いわゆる 思い込みや 義務感などが無くなります。
夢の中には、本来の「私」が求めている心が、純粋に表れているのだと思います。
現実を変えるのは、あくまで現実に生きている 自分にしかできませんね?
でも、宇宙生命の私が、夢という形を通して、本当の「自分の心」を教えてくれているのではないでしょうか?
これこそが無意識の「私」からのメッセージです。