タイプ分類の捉え方

思想/哲学

タイプ分類の捉え方

人の個性は様々で、自分基準で考えていたら、人間関係はうまくいきません。

自分の個性、そして他者の個性を知る為に、タイプ分類を取り入れることは、
自身の成長の為にも、コミュニケーションを円滑に行なう為にも 有効だと思います。

タイプ分類には様々な方があり、
心理学を活用したものから、占いの分野まで様々あります。

科学的な根拠と言えるかはさておき、
どの分類法にも、それなりの根拠はあると思われます。

そして長く活用されているものは、統計的な根拠もついてくるので、
信用できるものも多いと思います。

例えば占星術では、生まれた日時と場所、そこから見上げた夜空の天体の配置が、
誕生時のホロスコープチャートとなります。

出生時間がほんの数分違うだけでも、異なったチャートになる為、同じチャートになる人は、ほぼいないといえ、
まさに、その人だけの魂の設計図、人生の航海図と呼ばれるような、個の生命の情報が現れています。

この誕生時ホロスコープチャートからは、個人のパーソナリティ、いわゆる性格や個性だけではなく、過去世の人生の傾向性から、今の人生で目指すべき使命の形まで、
あらゆる情報を読むことができます

ところが、一般的な「星占い」では、誕生日の「太陽の星座」だけを読んでいます。
このパターンだと、人間を12個の星座に、タイプ分類していることになりますね。

では、こうして分類したものは、当てにならないかと言えば、決してそんな事はなく、
タイプごとの傾向性というのは、確かにあるなと感じます。

もちろん、その傾向性の強弱、現れ方、自覚の度合いなどは異なります。
ホロスコープを深く読めば、そこまで見えてくるのですが・・・

同じように、誕生日を基準にした、様々な占いなども、
歴史のあるものに関しては、それなりに信用できるかと思います。

このようにタイプ分類を活用し、自分を客観的に見ることで、
自分の特性、つまり傾向性が見えてきます。

どのような性格、個性にも よい悪いといったものはなく、
自分が悪いと感じたら、そこを修正し、
自分が良いと感じた部分は、伸ばしていけばいいのだと思います。

ところが、タイプ分類にこだわり過ぎてしまうと、
人をタイプに当てはめて、人柄まで決め付けてしまう場合もあるようです。

「この人は、このタイプだから、こういう欠点があるよね」
「この人は、私と合わないタイプだから、関わらない方がいいかな」
というようなパターンに陥りがちです。

まるで 優劣があるかのように、特定のタイプを 見下す場合もありますね。

私はこのタイプだから、これはできなくて当然だ、と、自分を正当化して、逃げの口実にしてしまう場合もあるようです。

きっと大切なことを見逃しているのでしょう。

人間は、いくらでも変わリます。
仮にタイプは変わらなくても、境涯の変化で、別人のように変わることができます。

タイプ分類を軸に、人を判断したら、
いわゆる教科書どおりに、型にはめて評価してしまい、
その人の本質を 見ていません。

占星術の例えでも分かるとおり、
本来は100人いたら、100人皆、基本の性質すら違います。
そこから更に、境涯という、心の成長度合いも人それぞれ違うのです。

それを数少ないパターンに当てはめてしまうようであれば、
もはや「人」を見ていないことと変わりありません。

現実的には、みんながみんな、境涯が変わったという体験を持っているとは限りません。

自分が「変わった」という実感を体験している人は、
人は変わることができる、という目で、他者をも見ることができるでしょう。

自分を客観的に見ることは、自身の成長の為には意義あること。
その一つの手段として、タイプ分類で、自分の傾向性を知ることは、価値あることと思います。

タイプ分類で、他者のタイプを知ることは、円滑なコミュニケーションを行なうことに役立ちます。
表からは見えない性格も見えてくるので、他者の理解も深まることでしょう。

でも、それが全てだとは、決して思わないこと。
人を型に当てはめて、本質を見失うことだけはしないように・・・。

人の心は常に変わり、いくらでも変わっていきます。
人は心を成長させることで、人格そのものも成長していきます。

どんな人にも、千差万別、人それぞれ違う個性があり、
個性自体には、よいも悪いもありません。

その個性を良い方向に活かしているか、悪い方向に出ているかの違いはありますが、
誰でも境涯を高めることで、変わっていくことができるはずです。

こうとらえて 他者とも向き合っていくことが、他者の尊厳を尊重することに 繋がるのではないでしょうか。