過去も未来も、現在の私の内にある
目に見えない世界のことは、知識で理解しようとしても限界があります。
知識でわかっていても、心ではわかっていないことも 多々あるはず。
しかし、ある時突然、何かがピタっとはまったかのように、心に腑に落ちることがあります。
頭で理解したというより、心で覚知したと感じる瞬間が・・・。
私たち人間の生命は、過去から未来へと、永遠に続く生命です。
現在の状況は、必ず過去に原因があります。
過去世で積んだ業は、今の私の生命に引き継がれ・・・
今の人生をどう生きるかによって、未来の私の人生も変わっていきます。
このように、過去の結果は 今に現れ、今の結果は 未来へと続いていくのですね。
私たちが過去世で積んだ業を乗り越えていくのは、決して簡単なことではなさそうです。
しかし業は、乗り越えられないものではないとも考えます。
さて、輪廻転生を語る時、必ず出てくる疑問があります。
運命は決まっているのか?未来は変えられないのか?という疑問です。
この疑問の答えだけ述べるとするならば、
運命は自分の力で切り開くことができ、未来はいくらでも創っていくことができるはずです。
今の自分がどのように生きて、どういう方向に進んでいくかで、未来は変わっていくでしょう。
過ぎ去った過去は変えられません。過去とは、もう終わってしまった「時」なのですから。
しかし、本当にそうなのでしょうか?
科学の目では、高い次元においては、過去と現在、そして未来は同時に存在するのではないかと考えられています。
輪廻転生を説く 仏教思想においても、私たちの生命は、永遠ともいえる遠い過去から 流転し続けていると説かれていますが・・・
より本質的には、過去から未来まで続く 永遠の時間であっても、大宇宙という 無限の広がりを持つ空間といえども、今の私の生命の中に すべてが内在すると説かれています。
普通の植物は「花」が咲いた後に「果実」が実ります。しかしハス= 蓮華は、花と果実が同時に育つという性質があります。
そこで仏教では、花 (原因)と 実 (結果)が同時に生まれることから、「因果惧時」の象徴として「蓮華」が親しまれています。
生命の世界では、過去の 因と 現在の かは 同時に生じ、現在の 因と 未来の かもまた、同時に生じることを意味します。
つまり「現在の私」が変わることで、「過去も未来も」変えられると捉えることができますね。
私たち人間は、過去世で、たくさんの悪業を積んでいます。もちろん人類全体の生命としても、限りない悪業を積んできたのは想像に難くありません。
多くの人生を生きれば、悪業は減っていくものではなく、むしろ積み重ねていくだけであることも、簡単にイメージできます。
だから初期の仏教では、ごく普通の人々が理解できるように、過去から現在へ、現在から未来へと続く、私たちの感じている時間軸を基準に法を語られました。つまり、数えきれないくらい多くの人生を転生し、修行を積み続けることで、初めて業を解消し、幸福に向かっていけると説かれたのです。
これは、「今の人生では幸せになれないよ」と言われたようなもの。「未来は変えられない」と断言されているようなものですね。
しかし仏教の本質は、「蓮華」に象徴されているとおり、
生命の本質を三次元の世界観だけでは捉えていません。
今風の言葉でいえば、四次元以上の 高い次元から見た場合は、過去も 未来も、現在という 瞬間の生命の中にあることを、様々な表現で説かれていることがわかります。
すなわち、今の自分を変えることで、生命の胸中では、過去に積んできた 業をも一瞬で解消してしまい、
希望の未来を創っていくことができると捉えることができます。
このように、遥か昔に生まれた思想と、現代の最先端科学は、次第に合致しつつあるようですね。
私たちは、今の自分をどう生きるかによって、いわゆる運命はいくらでも変えられます。
すべては自分次第で、宇宙生命の中にある 無限の未来の可能性の中から、望む未来を創っていける力があるはずです。
もちろん、時間軸のある 現実世界では、種から芽が出て、そして花が咲き、実が出るまでに、それなりの時間はかかることでしょう。
それでも、生命の世界では、未来を創るのは「今の自分」という瞬間の「意思の力」なのだと思います。