過去と未来を統合し、今の人生で最高の幸福を掴む
月のノード再考察(後編)
現代のスピリチュアル思想のベースにある 輪廻転生の概念には、
人間の魂は 転生しながら成長し、宇宙との一体化を目指して進化していく という解釈があるように思えます。
これは、今の人生は魂の修行期間に過ぎず、真の幸福を掴む為には、これから何度も何度も 転生していく必要があることを意味しています。裏を返せば、今の人生では真の幸せは掴めないと断言されているようなもの。
また同時に、過去の人生の結果を 捨て去るべきものとして、否定するかのようなニュアンスも 感じてなりません。
もちろん、このような表現ではっきりと語っている人は、ほとんどいないと思いますが、これが思想の怖さだと思うのです。
自分では気が付かないうちに、今の人生に諦めを感じたり、未来世に過度の期待を 抱いたりしてしまい、
「今を生きる」「この現実を生きる」という力を失ってしまいかねないからです。
私たちは、宇宙生命と同一の生命なのだという、全体観を 心に持ちながら、
個の人間として、地球という 現実の大地に生まれてきた、自分だけの使命を、この人生の中で達成していくこと。
自我を最大限に輝かし、自己実現を果たすことで、真の幸福を掴んでいくこと。
このような生き方を目指していきたいですね。
さて、このように思想観を転換し、もう一度、月のノードを改めて読んでみましょう。
まず、太陽の示す象徴は、自分自身、自分の自我。意識としての自分の生き方そのものです。
つまり、自分らしく生き、自己実現をしていく事が、人生の使命ともいえ、
その道のあり方が、太陽に表されているのでしょう。
月の象徴は、内面の自分。無意識の底に隠されている感情です。
もちろん過去世から受け継がれている、生命の傾向性でもあります。
この無意識の底には、個としての心だけではなく、人類全体の意識、宇宙生命としての意識も眠っているはずです。
ところが未熟な人間は、煩悩という欲望に包まれている為、
意識の私ですら、本当の自分らしい生き方を見失っています。
だから真の目的になかなか生きられず、目の前の喜びを求めてしまうのでしょう。
無意識の私は、正しい答えを知っているまでも、
その答えは、意識という 心の表面にはなかなか現れてきません。
こうして、意識と無意識に食い違いが生じてしまいます。
この食い違いを長い時間をかけて、ゆっくりと調整するのが、新月・満月のエネルギーであり、
月のノードで起こる、日食・月食などのイベントなのでしょう。
こうして星が動いた時、見えない心の中で、
無意識の自分の心が、意識化されるエネルギーが働くので、
自分でも気が付かないうちに、心に変化が起きるのでしょう。
だから新月や満月などは、エネルギーに敏感な人ほど、体調を壊しやすいのだと思います。
仏教には、日月失度難 とあります。
太陽や月が異常現象を起こす という意味になりますが、日食・月食のことを指しているのが 安易に想像つきます。
きっと昔も、日食・月食の時には、何かしらの良くない出来事が起きやすい時と思われていたのでしょう。
もちろん仏教においては、目に見える形で 良くない現象が起きる時こそ、飛躍、成長できるチャンスと捉えるのですが。
同じように、ドラゴンテイルの示す、過去世からの業も、避けていいものではないのだと思います。
むしろ業に直面した時こそ、大きく成長できるチャンスであり、
無意識の私と意識の私が合致して、人生を正しい方向に大きく軌道修正するきっかけになるのだと考えます。
もちろん皆が皆、こうして捉えられるわけではありません。
業を避けたり、業の試練から逃げてしまったら、未来にもっと大きな形で試練が現れるだけです。
月のドラゴンテイルを、繰り返しと読まれていたことからも、多くの人が業の試練に負けていたであろうことが読み取れます。
業は、乗り越えることで、次のステージに進む為に必要なプロセスであるはずです。
これをチャンスと捉えるかどうかです。
この 乗り越える為のヒントは、ドラゴンヘッドから読み解くことができます。
ドラゴンヘッドとドラゴンテイルは、地球から見た場合、
つまり「私を中心」に必ず180度反対側にあります。
そして幾代もの過去世の中で、特に強烈な感情が生じた時の人生を、ドラゴンテイルの星座から読み解きます。
例えば、何気ない日常の 一週間前の出来事は思い出せなくても、数年前の強烈な体験は忘れていないのと同じ理屈です。
そしてドラゴンヘッドの星座には、目指すべき私の方向性が表れているのですが、
読み解く上での大切なポイントは、
対極にある 星座同士には、共通したテーマがあるということ。そのテーマに対して、真逆に偏った人生が、ドラゴンヘッドとドラゴンテイルに現れていると見ます。
だから、伝統的な解釈である、ドラゴンヘッドは吉で、ドラゴンテイルは凶であるという読み方はしません。
もちろん、この共通したテーマこそが、今世で壁を乗り越えて、達成するべきテーマのはずです。
今回は、私の例で解説します。
私のドラゴンヘッドは牡牛座2ハウス、ドラゴンテイルは蠍座8ハウスになります。
蠍座は、目に見えない世界や、精神世界の探求というテーマがあるのに対し、
牡牛座は、現実世界を五感を使って楽しむというテーマがあります。
これだけ見れば、まさに正反対の性質なのだとわかります。
言い換えれば、蠍座は、宇宙生命への帰属的欲求が強く、牡牛座は、個としての分離的欲求が強いと見ることができます。
この正反対とも言える二つの星座には、掘り下げていくと共通したテーマがあることがわかります。
牡牛座と蠍座の共通テーマは、生命のパートナーともいうべき、ソウルメイトとの関係です。
蠍座での過去世において、ソウルメイトの存在を自覚、パートナーとどこまでも深く繋がりたいと願った人生が浮かんできます。
そして、人としての道を踏み外し、間違えた形で魂の結合を試みた。その結果として、正常な心を壊し、共に深い共業を背負ってしまった。そんな過去がイメージできます。
まさに愛憎の連鎖。愛するが故に憎しみ合い、共に傷つけあうような人生を繰り返してきたかもしれません。
この壊れた心を正しく取り戻す為、牡牛座のエネルギーで、五感を最大限に使い、現実世界を楽しんで心を癒すというステージが必要なのでしょう。
逆に見ると、牡牛座のエネルギーが強すぎると、目に見える現実しか見えず、ソウルメイトがすぐ近くにいても、気が付かないという人生を送る傾向がイメージできます。
その 寂しさを伴う想いが、蠍座として、ソウルメイトとの繋がりを 深く求めるのでしょう。
過去世の業を「悪しきもの」と捉えた場合、傷つけあうようなパートナーとの縁を切り、別の現実を歩んだ方がいい との解釈が生まれても不思議ではありません。
ここで見落としてはならないのが、ドラゴンテイル 蠍座が示す、無意識の奥の感情は、ソウルメイトを何よりも求めている生命 だということです。
ソウルメイトとのすれ違いや衝突に、苦しむ人生を繰り返しながらも、心の奥底では、何よりもソウルメイトと一緒に掴む幸せを求めているということです。
仮に牡牛座が示す、豊かなモノや環境、豊富な財産に最大限に囲まれて、過去世からの傷付いた心が癒されたとしても、
心の奥に、大きな穴が あいたままの状態になるに違いありません。
見せかけの幸福は手に入れたとしても、真の願いには程遠いのです。
では 何が正解なのでしょうか?
牡牛座も、蠍座も、基本のテーマである、ソウルメイトとの幸せを掴むことです。
過去世から永遠と続いてきた、悪しき流れを断ち切り、
現実世界で、ソウルメイトとの新しい関係に目覚めていくことが、テーマへの答えのはずです。
過去世からの業を乗り越えるということは、こういう事だと思います。
目の前の困難から逃げてしまったり、試練を避けてしまったら、業の試練はずっと繰り返され続けるでしょう。
業を乗り越えるということは、あしき流れを、良い流れへ転換するということ。
本来ソウルメイトとは、共に何かの使命を叶えようと、同じ夢、同じ目的を誓いあった、生命のパートナーなのです。
それを、魂の世界のような 目に見えぬ場所ではなく、現実という大地の上で、実現していくことが、真に心が望んでいることなのではないでしょうか。
もちろん、生まれ変わって、いつか未来世で実現していくものではなく、今世で叶えるべき人生の目標です。
他の星座グループも、各々テーマが違うだけで、進むべき方向性は同じだと思います。
ドラゴンテイル の示す過去世、ドラゴンヘッドの示す未来像、この共通したテーマを読み取り、
どちらの性質にも偏らず、調和を持った生き方を目指していくことで、
今世のうちに、自分自身の生命のテーマを 実現する人生を目指していくのです。
そして、成長した生命は、宇宙生命へと向かうのではなく、
新しい使命を持った個として、次のステージへと進んでいくのではないでしょうか・・・。